幼稚園の評議員会が松代であったので、出かけた折りわずかな空き時間に近くを歩いてみました。
まず、真田弁当つたやという見るからに貫禄のある建物が目につきました。銘菓のお店だそうだけど、信州名物の「おやき」が有名になっているとか。
「大名おやき」の大看板とその能書きが面白い。
大名おやき 信州名物おやきの話」オラほう(北信濃)じゃ昔っから祭りん時や、おこでれ(おやつ)には、よくおやきを食った。野菜を味噌で味付け、粉をねって丸め、灰ん中で焼いたり蒸したり皆んな独自の味を自慢したもんだ。これがまた素朴な味でおごっつおだった。伝統の味をまもって今に伝承し北信濃の名物として是非一度お召し上り下さい。
その近くにお稲荷さんがありました。草木に覆われた奥深くに何やら言われありそうな小さな社がありますが、特に特徴あるという建造物ではありませんが、狛犬ならぬ狐の石像がかわいいいでたちです。町内の鎮守として受け入れられている日本らしい民俗風物のようです。
懸宮稲荷大明神 祭神 正一位稲荷大明神 稲荷大明神は、食物・農業・殖産興業・商業などの神さま。松代西木町の懸宮稲荷大明神は、文政九年(1820)に、松代藩預所が勧進。明治維新後、民間に払い下げられ、社も含め永島新兵衛に渡り、屋敷の鎮守社となった。 昭和初期、永島家が松代を去り、稲荷大明神は佐藤媒治郎に渡り、西木町のお稲荷さんとして祀られるようになった。 石の鳥居は文化四年建立、石造手水鉢は慶応三年に水内郡高井郡十六箇村、権堂村他が奉納した。春秋の例祭や初午祭は賑わいを見せている。
松代は歴史的に重要な位置を占める町ですが、鉄道の駅も廃止になり斜陽の町の様相を思わせますが、町の中心地は整備され、気持ちの良い通りです。洒落た大通りと、昔づくりの家並みが組み合わさっている町です。そしてそこここに歴史的息吹が感じられます。
この家の前には、「御使者屋敷の跡」との案内板があります。
「御使者屋敷の跡」
松代町伊勢町 江戸時代
松代藩政の時代、他の藩の使者を宿泊させた松代藩の公的宿。佐久間象山が、一時期この屋敷を借りて住み、嘉永二年(1849)に鐘楼との間の約六十メートルを電線で結び、日本初の電信実験を行った。
なるほどここからその鐘楼がすぐ近くに望めます。また、「伊勢町」の案内棒があり、「伊勢神宮の遥拝所があり町人町の中心地。藩御用達商家を始め大店で賑わった。」と記されています。
この家の前には次のような案内板が掲げられています。
「山上武夫生家」
童話作詞家
大正六年(1917)~昭和六十二年(1987)
享年七十一歳 菩提寺・證蓮寺
松代商業学校卒業後、詩作を志し上京。NHKが募集した童謡に「この道ほそ道」が入選。草川信作曲で全国放送されたのを機に、草川の勧めで童謡作詞に転じる。同郷の作曲家海沼実とコンビを組み、「お猿のかごや」(法泉寺に歌碑)や「見てござる」(梅翁院に歌碑)等今日でも歌い継がれる童謡を残した。昭和四十三年「うまれたきょうだい十一人」でレコード大賞童謡賞受賞。
知らないことに出会うとなんだかうきうきとしうれしくなります。