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松代・恵明禅寺

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 松代地下壕のすぐ隣りの山肌に飲まれるように、大屋根の寺院が目立ちます。地下壕で使われていて亡くなった朝鮮の人たちの供養をしていたという恵明禅寺です。屋根上の鯱と真田氏の六文銭が由緒を語っているようです。
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 縁 起
寺 号 黄檗宗(おうばくしゅう) 象山 恵明禅寺(えみょうぜんじ)
本 尊 釋迦如来
本 山 黄檗山 萬福寺(京都府宇治市)
黄檗開祖 隠元禅師(中国僧 15921673)
 恵明禅寺は第三代松代藩主真田伊豆守幸道公の開基で、延宝五年六月(1677)の造営であり開祖は黄檗二祖木庵禅師(中国僧16111684)である。文政八年五月(1825)本堂から出火、おりからの烈風にあおられ本堂、開山堂、霊屋、庫裡、鐘楼そして木庵禅師伝来の佛像、什物等ことごとく灰燼に帰してしまい、僅かに地蔵堂、不二庵、山門を残したのみであるが、また暫くして不二庵から出火、地蔵堂とともに焼失してしまい、当時から残るは山門のみである。
 このようにして再度の災禍によるも、天保四年十月(1833)第八代松城藩主真田伊豆守幸貫公により本堂、霊屋、鐘楼、庫裡が再建される。堂内には釋迦三尊をはじめとして、中国佛師による木庵禅師像、幸貫公自作の布袋和尚像、それに享保八年三月(1723)第四代松城藩主真田伊豆守信弘公により真田屋敷より遷座された稲荷大明神(吨枳尼天)等が祀られている。また、境内には第三代松城藩主真田伊豆守幸道公の奥方「豊姫」、松代雅楽の祖宮島春松先生、松代文化財愛護功労者長岡助治郎先生、天文学者西澤茂台先生等の墓がある。
 ○寺号の由来 開祖木庵禅師が中国で最後に住持をされていた寺が泉州の象山慧明寺であり、これに因み象山恵明寺と号す。
 
 佐久間象山は、この寺院の山号からその名を取ったと言われているそうです。
 また「豊姫」についての説明板もあります。現在千曲市の森の「あんずの里」の元になったと言われています。
 
豊姫(あんず姫・16591732)
 伊予(愛媛県)宇和島藩主伊達宗利公(仙台藩祖伊達政宗公の孫)の息女で名を「豊」と言う。
 延宝元年七月二十六日(1673)十五歳にして幸道公に嫁ぐ。
 豊姫が実家より「鉢植えのあんず」を持参し愛賞されていたのが善光寺平に「あんずの樹」が来た始めであると言われている。現在、更埴市森のあんずは有名。
 遺骨は幸道公の開基寺であることから当寺に葬る。
 今も当時から三代目にあたる「あんずの樹」が境内に残っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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