さくらを求めてぶらぶらしていたら、千曲発電所西浦ダムを見下ろす歩道橋の下に、目立たぬように「西浦淡路塚」というのを見つけました。
西浦淡路塚
この塚は元はこれより南方約八十米の地に存したが昭和五十七年千曲小学校改築の際 市の要請により元掛川氏のお宮の跡地にその石塁を用いて移転したものである この掛川氏のお宮は部落の中程にあった小林氏のお宮と共に合幤し部落を見下ろす現在地に昭和二十五年西浦神社として移築された
掛川氏のお宮は社宮司を氏神としており茅野市の今井菊野氏の書には「社宮司を氏神とする氏族は有史以前からの氏族であり・・・」と記され今井市がこの地を訪れた際お宮の移転を大変残念がられたと聞いている
元々一族がこの地に住する前は小諸大橋近くの淡路屋敷と言う地名の残る場所に住していたと伝えられておりその墓地跡近くに掛川淡路守の塚があり今でも毎年四月三日にはこの地で先祖の供養祭をしている
掛川淡路守に関わる記録については市立小諸図書館所蔵の「口承伝」に「淡路屋敷の宝刀」としても記されている 又大抗部落のお宮も社宮司を氏神として奉っておりこの地との関係が伺える
以上の事象に基づいてこの塚を西浦淡路塚と命名した
平成九年四月三日 掛川 真 臨舟謹書